初断捨離で手放したモノから見えた自分
昨日、私はこうやって断捨離をスタートしたよーという話を書きました。
初めて断捨離したときの話や変化はこれまでにブログで書いてきました。
きっかけは当時の彼氏とのお別れ失恋。そして片付けや断捨離をしてみたら、あれだけモヤモヤイライラしていたはずなのに
あっという間に心の整理を通りこして気が付いたら断捨離が目的になって相手のことなんてどうでも良くなってたわ、というお話。
今回は手放しながら、捨てながら、掃除しながらモノを通して気付いた私の振り返りです。
正直、かなり恥ずかしい内容です。
振り返ると私って、
よく言えば向上心だけ高かった
悪く言うと、結構な見栄っ張りというかコンプレックス持ちというか、自尊心高かった人間だった模様。
この初断捨離は、失恋(結婚予定者)を失った心の整理が目的だったのに
気が付けば、自分自身の姿を見直し、自分の在り方や心の整理をする行為になっていたので、当初の目的以上のものを得られたように思います。
手放したモノから見えた自分の姿
■ 使わない調理器具、お皿、調味料
料理をちゃんとする人、いや料理上手を気取りたかった。
そもそも「ちゃんとした人」を気取りたかったんだと思う。
結局使わないから調味料なんて気が付いたら賞味期限が切れていた。調味料って賞味期限長いはずなのに。
■ 沢山の映画DVD、少し古い洋楽CD
映画好き、いい作品(評価されている作品)を知っていると思われたかった。
良い作品を手元に置いている、押さえている、いつでも貸せるよ、多分そんな自分をオープンにはしなくとも、チャンスがあればさり気に披露したかったんだと思う。
現代の流行音楽に興味が持てず、食指が全く動かなかった。70~80年代の洋楽だけは興味が持てた。
流行についていけない、イマドキではない、と思われるのが嫌で「私はあなたたちとはちがってこちら派だから。」と言いたかったんだと思う。
■ 高い服、靴
地元のお金持ちが集まる高校に超一般家庭ながら何かの縁で入学して、そのコンプレックスから脱却できぬまま、社会人になっても身の丈に合わないものを買っていた。
そして一部の服は私にとって戦闘服でもあった。
主にオフィスで着る服。当時の私は服や靴で自分を表現し同時に周囲に威嚇もしていた。
■ 似合わない服
「失敗」を認めたくなかった。いつか着れる。いつか着こなせる。
人にあげることはできたけれど、捨てることはできなかった当時。
それは失敗を認めることになるからできなかったんだと気付いた。
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■ 沢山のカバータイプのメイク用品
肌荒れを隠す為に必死だった。外食とお酒を減らしていればこんなに隠すメイクアイテムだらけにしなくてもよかったと思う。
カバー力が高いことを目的にしていたので、肌への負担も高いことはなんとなく気付いていたけれど、やめられなかった。
当時の私は多くの感情を他人にも自分にも隠していた。
■ 沢山の医薬品(痛み止め、胃薬、風邪薬)
病院に行く暇がないと思い込んでいた。
そして、病院に行かず手元にある薬で調整できる=自己管理ができている と思い込んでいた節がある。
加えて、仕事で忙しいと言い訳をして、「忙しい」「タフ」な自分に酔っていた。
■ 一人暮らしには多すぎるストック
自分で言うのもなんだが、仕事ぶりは堂々としたものだった。
部下の大半が自分より年上だったからかもしれない。
会社自体が大きくはなかったので、給与こそ高くなかったものの評価もされていて、「物怖じしない人」「有言実行する人」というのが私に対する社内認識、取引先の認識だった。
実際、この会社に転職してから結構すぐに数字はエリアで常にトップを取るようになった。
でも、それは自分が目指した「像」
自信にあふれている社会人でありたかった姿を表面上実現したもの。
本当はビビりでもある。保険を持っておきたい。でもその姿を出したら評価が下がるのではないか、情けない姿は表に出したくない。と水面下より少し下の自分は思っていた。
だから、人に見られないところで必要以上に備えていた。
■ 大量の基礎化粧品
コンプレックスと重なって、高いものを使っていれば治ると思っていた。
高い金額という対価を払うことで長いこと治らなくても「これだけやってるんだから仕方がない」と思いたかったのかもしれない。
湾曲した表現になるけれど、当時の私はとにかく強い人間であることを自分に求め、周囲にも求められていた。
敏感肌・弱い肌であることを自分自身が認識することで、本当は弱いということを身体が表し、精神面で認めて唯一表せるのが肌だったのかもしれない。
■(おまけ)食事に行く回数
仕事の後、終電がなくなるまで平気で食べて飲んだ。勿論、帰りはタクシー。
付き合いが悪いと思われたくなかったし、美味しいものを食べることも好きだったから気にしなかった。チェーン店やファーストフードは食べないと豪語していた。
でも実際は、自分の給与に見合わなくても「私はこんな生活ができる人」と自分も他人にも思われたかったからだ。そしてグルメと思われたかったんだと思う。
飲み会の相場の会費は5,000円ぐらいまでが本心だったけれど会費1万円越えでも二つ返事で参加した。2軒目、3軒目に行かなかったことなんてなかったと思う。
ハッキリ言って見栄の塊だった。
紹介されたお店が気に入れば、レストランでもバーでも自分の頭のなかのグルメリストにしっかり入れて他の人をさそってその店を訪ねることもよくやった。
そうすれば、紹介してくれた人もよかったと思ってくれるし、新たに誘った相手にはグルメと思われる。
それも当時の付き合いの範囲で食事に行くメンバーは社会的に平均より確実に上にいる方々ばかりだったので、お店側も尋ねて2回目の私にもよくしてくれて、大変気分がよかった。
現実逃避も同時にしていたと今なら分かる。
夜中まで飲み食いしてタフに仕事をして数字をする姿でも周囲を威嚇していた。
初断捨離は疲れたし、モノもなくなったけれど心は軽くなった
初断捨離では自分のなかで過去最高にモノを手放しました。
そして持ち物を見直し、掃除をしました。
金曜日~日曜日の昼間の間、ひたすら1K一人暮らしの部屋でそういったことをしてとにかく疲れました(笑)
でも、本来の目的だった失恋の名残はキレイスッキリなくなりました。
その他の変化は、今回書かせて頂いた通り。
モノを通して私は自分が思っていた程、私は私を大切にしていなかったということや
これまで自分のことは分かっていると思っていたけれど、沢山の自分を無視していたことに気づきました。
そしてモノはまだ沢山あるけれど、それでもモノは減り、視界が変わりました。
身長以上の高さのある食器棚、膝ぐらいの高さの棚が1つ、カラーボックス1つを引き取ってもらったので部屋は広くなり
服を減らし、衣装ケースも2つ手放したウォークインクローゼットは広くなり
そのクローゼットの中にある、溢れんばかりの本棚には隙間ができて、ハンドバッグ2つを収納できるスペースまでできて、以前とは全く違うウォークインクローゼットになりました。
心がとても軽くなったあの週末を多分私は忘れないでしょう。