こうして私は断捨離した~番外編:K点越え!?の効果が凄かった~
初めて私が断捨離したときの話、『こうして私は断捨離したシリーズ』番外編です。
断捨離の理由はひとそれぞれ。
身軽になりたい、節約、ストレス軽減、興味、年末だから、気分、引越し等々。
モノを手放すととにかく管理が楽になるので(と書くものの、私もまだまだ多いのが現状)それだけでも十分理由になります。
そんな今回、私が手放して、ぶっち抜きで手放したら楽になったモノがあるのでそのお話を書いてみることにしました。
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目次
「個」を表すアイテムは手放しづらかった
断捨離全般通して、感じたことの1つに
「個」を表すアイテムは手放しづらかった
というのがあります。
人によって「個」を表すアイテムは違うと思いますが
「個」を表すことが多いものって、
- 服やバッグ、アクセサリー等、身に着けるもの
- 長年の趣味の道具
- 自信が極めてきたものに関する道具
なのかなと思います。多分!(笑)
私は極めてきたものや長く続いた趣味は残念ながらありません
なので、服やアクセサリーについては
使わない(着ない)のに手放しにくいと感じる率が猛烈に高かったです。
個を表すものって、自分の一部のように感じやすいから
例え、もう似合わなくても、使わなくても、取っておきたいという心理が働きやすいように思います。
これらに対して手放すことを考えると
固執・執着(そのモノを視覚をで捉えることによって蘇る、若さや過去の栄光、苦悩などの記憶や思い出を失うように感じる)
失敗を認めたくない(自己の否定や憧れが遠のくように感じる)
そんな思いが脳裏を過ぎってモノを手放せない理由になることは全く珍しくはないと思います。
手放せない本当の理由は金額でも勿体なさでもなく、これら上記の2つやそれに近いものだった場合
手放すハードルは高く感じても、手放せたら本当に心が軽くなります。
おまけに、こういんたものを手放せると他のものも手放せるようになります。
ゆるりまいさんの言葉を借りると「K点越え」
私の心を長年ザワつかせていたアイテム
そんな一例として、私が手放して心が軽くなったものの1つにコートがあります。
7万円ちょっとした冬ものコート。
私にとっては高価なコートです。社会人1年目ぐらいの頃に購入しました。
当時の自分にとっては清水価格。
でもほとんど着ていないんです。質は良いです。温かいです。形は年齢は問わないタイプ。
でも、形がなんだか似合わない。おまけに汚れやすい白。
これ、実は買う時に似合わない気がしたんです。
でも私は当時の自分にとって(今の自分にとってもですが)高価なコートが買いたかった。
そして、そのコートの形がとても気に入って、こんなものを普通に着てる私にあこがれて購入しました。
買ったときは満足度が高かったのに
結局着ないから、毎年、コートの季節になると罪悪感に襲われていました。
視界に入ると季節外れのタイミングでも心がチクチクと痛みました。
たまに家の中で着ては、結局外に出るときは着ませんでした。
もっと高価なモノは手元に存在していたけれど、それはしっかり使っていたから、
このコートのようにこんなにも心がザワザワすることはありませんでした。
(私にとっては)高価な失敗がいつも目に入るクローゼットにぶらさがっている状態。
当時は気付きませんでしたが
この「使われることがないのに存在するもの」から私はどこかで責められて(本当は自分が責めているのと同義)
欲しくて買ったはずのものからダメージを受け続けていたのです。
社会人2年目のときに奮発して買ったコートだぞー高かったぞー
どうして着ないのー?
着こなせる人に結局今もなれてないねぇ?
似合わないかもって思ったのに買っちゃったの?
まだ着ないのー?
見合ってないねー
えー、着たらいいのにー
コートが浮くね。着られてる感あるね
勿体ないよー勿体ないってわかってるのにどうして?
このコートのお金で●●できたのにね
そのうち、きっと、多分、また着れることがあるかもね(棒読み)
全然着てないね
◇◇さんみたいな人だったら普段からさり気なく着こなしそう
着れる着れる!着ちゃいなよ
勿論、コートが話かけてくるわけではないのですが、私のなかの心理がこのように自分で自分にダメージを与えていました。
罪悪感から抜け出せなくないものになってしまった、と言ってもいいかもしれません。
視界に入るときだけではなく、手放そうと考えたときより一層、このような様々な感情が沸き起こってぐるぐるした状態が自分に起こって、余計に手放せなくなっていました。
購入から約8年目にしてやっと手放す
なので罪悪感を振り切って手放したとき(後輩に譲りました)とても心が軽くなりました。8年ですよ、8年(笑)
それが、どれくらい軽くなったかというと、金額こそ違えど、奨学金を綺麗さっぱり返し終わった(最後だけどかーんと高額で完済)ときより私は身軽になった気がしました。
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正直、当時の自分には捨てる勇気がなかったので、欲しいと手をあげてくれた後輩にはとても感謝しています。(8年目のコートながら、状態よく、形も綺麗だったおかげかな)
このコートを手放した途端、同じく自分のなかで「高かったから」同じように買ったのにロクに着なかったワンピースや靴、バッグを一気に捨てることができました。
私のなかで最も罪悪感や固執があった白いコートを手放せたことで、他のモノも手放せるスイッチがONになったんだと思います。
でも一番はやはり、そのモノから「卒業」できた感覚。
こんなにも心を締めていたなんて・・・と我ながらびっくりしました。
奨学金より楽になった理由はただ1つ「学業はさぼりつつも、修めたし卒業もした」けど、このコートには「金額分の成果がなかった」ので重かったし気付かずして負になっていたんだと思います。
悪く言えば、無意識にモノに自分が一部支配されていたんだと思います。
ゆるりまいさんの仰る「K点越え」を経験した瞬間だったと思います(これ、すばらしい表現だと思います!)
個人的に、K点越えって結構辛い。なんか辛い!(笑)
自分の中で、無理って思っていたものを手放せたら!越えたら!そこには爽快感がありました。
手放して気付いた
数週間後、そのコートを着てる後輩に遭遇しました。
なんというか…めっちゃフツーに着てる!(笑)
新卒の頃に自分にとって清水価格で買った瞬間が忘れられず、思い切って外に着ていけなかった汚れやすい色のコートでしたが
- 彼女にとってはタダで手に入れた温かいコートでガンガン使えるものであること
- 私は身長が低く、彼女の身長はどちらかというと高い方なので、私より着丈が合っていること
- 小顔(身長と比例)の私にはそのコートの特徴である大きな襟とのバランスがイマイチ合わかったこと
- イエローベースの肌の私には真っ白な白ではなく、オフホワイトやベージュ寄りが似合い、ブルーベースの後輩には真っ白が似合うこと
- そもそも購入時に憧れだけで購入して、自分の体系や顔に全く合っていなかったこと
- 譲ったタイミングでは、自分の服の似合う・似合わないを判断できるようになっていたけれど、おそらく新卒の頃の私はまだまだ服を着こなすレベルが低かったこと
- 冷静に見ればこうして気付くのに、私のなかではそのコートに対しては時がとまったままだったということ
に気付きました。
まさか、自分のなかでそのモノに対してだけは時が止まっていたということに全く気付いていなかったとは・・・
それも骨格や体系的に改善しようがない部分が理由で似合っていないアイテムに「憧れに追いつけない(着こなせない)」と言われているように感じていたとか、振り返ると結構アホやったな、と思います(笑)
手放した後悔も、あっさり着てしまう後輩に対してのヒガミもありません。
なんだか、ここまで判明したら拍子抜けで、笑ってしまいました。
あれだけ自分のなかで大きくなっていたコートがこんなにも身軽なものだったなんて。
知らないうちにモノに支配されるって本当にあるんだなと、今思い出しても考える出来事でした。